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Gerge Nelson
Charles&Ray Eames
Harry Bertoia
Hans.J.Wegner
Raymond Loewy
Alvar Aalto
Jan Ekselius
Egon Eiermann
 Eero Saarinen
 Isamu Kenmochi
 Isamu Noguchi
 Brown Jordan
 Mario Berini
 Art Roche
 Laurel Lamp
 Jelde
 Arabia
 Heath Ceramics
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 Erik Hoglund
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50年以上前の1950年に発売された、世界初の量産可能なFRP製チェア。48年、MoMA主催のローコスト家具デザインコンペでその原型が発表されたアームシェルチェアは、2年後、FRP製造で定評のあったゼニス・プラスチックがシェルを生産、47年にイームズをデザイナーに迎えたハーマンミラーが販売を開始した。軽量、頑丈でローコストな最新素材FRPによるこの椅子は高く評価され、53年のサイドシェルなどバリエーションを増やした。デザインはもちろん、規格化することにより付け替えが可能なベースシステム、豊富なカラーや張り地の選択など、多彩なセレクト性が魅力のアームシェルは89年に生産を終了。現在はユーズでのみ入手可能。最近では一部レプリカを製作するメーカーもあります。

レイモンド・ローウィはパリ出身でインダストリアルデザイナーとしてアメリカで活躍。 「口紅から機関車まで」と言われるように様々なデザインジャンルで活躍しました。 彼がデザインすると、その商品は必ず売れると言われ、日本でも数々のプロダクトやシンボルマーク、ロゴなどもデザインしました。彼は「デザイン」の良し悪しという捉え方ではなく、「売れるデザイン」こそが「デザイン」だと考え、関連モニターに沢山のデザイン案の中から悪いと思うデザインを「消去」してゆくデザインマーケティングを始めた先駆け的存在です。

ジョージ・ネルソン は1908年にコネチカット州ハートフォードに生まれる。 17歳でイエール大学に入学し、3年後にはイエール大学の助手として教鞭をとった。それから3年後、1931年には23歳でイエール大学の芸術学士号を取得し、1932年奨学金を得てローマのアメリカン・アカデミーに留学。同年に建築部門のローマ賞を受賞。1935年にイタリアから帰国後の1935年には「アーキテクチュラル・フォーラム」誌の建築ジャーナリストとして活躍し、1936年、ウィリアム・バンビーとともにニューヨークで建築事務所を開設。1944年まで2人で経営する。そして、1944年に彼の人生の転機となる収納壁を発表。これをきっかけに1946年、 ハーマンミラー ( Herman Miller ) 社のデザインディレクターに就任。 チャールズ&レイ・イームズ 夫妻に同社のための家具デザインをするよう交渉しつつ、 ジョージ・ネルソン 自身も、後に彼の代表作と称される「プラットフォーム・ベンチ」を発表。1年後、ゴードン・チャドウィックと共同でインダストリアルデザイン専門の建築事務所「 ジョージ・ネルソン ・アソシエーツ」を設立し「マシュマロソファ」、「ココナッツチェア」、「ボール・クロック」などを発表。デザイナーとしてもアメリカのモダンデザインの確立に大きな役割を果たした。 また、チャールズ&レイ・イームズ や イサム・ノグチ らの才能をいち早く発掘したことで、鑑識力の高さも評価されている。

ハンス・J・ウェグナー は1914年、デンマークのトゥナーに生まれる。 1926年13歳の頃、近所の木工のマイスターに弟子入りし、17歳でマイスターの資格を取得。1931年、指物師としてのプロライセンスを習得。国立産業研究所で木材の研究をし、その後、23歳のときにコペンハーゲンの美術工芸学校家具科に入学。この頃、生涯の友となる ボーエ・モーエンセン と知り合う。 そして、20歳の時に徴兵でデンマークの首都コペンハーゲンに出てきたことが、家具職人への転機となった。1940年〜1943年 アルネ・ヤコブセン の事務所を経て、1943年に ハンス・J・ウェグナー 自身の事務所を設立。中国明代の「圏椅(クワン・イ)」に自身のスタイル見出した ハンス・J・ウェグナー は、そこから発想を得て、チャイニーズチェアを製作、6年後改良を重ねたラウンドチェアを発表する。そして、1950年「ラウンドチェア」の発表により ハンス・J・ウェグナー の評価が確固たるものとなった。 ハンス・J・ウェグナーは30年間に渡り、世界最高の家具デザイナーとして君臨している。ウェグナーの作品は、木材を生かした美しさとやさしい風合いが特徴で、手がけた家具はとても繊細で、伝統的な職人としてのこだわりが感じられる。「Yチェア」[シェルチェア」「ザ・チェア」「チャイニーズ・チェア」等500種類以上の椅子をデザインしている。

ハリー・ベルトイア は1915年、北イタリアのウーディネに生まれる。 1930年に家族とともにアメリカ合衆国に移民し、1936年にデトロイト州のカス工科大学を卒業。1937年には特待生としてクランブルック美術アカデミーで学ぶ。その後、 ハリー・ベルトイア は金属工房を同美術アカデミーに設立し、1939年から4年間、学部長として指導にあたる。第二次世界大戦中は、 チャールズ&レイ・イームズ 夫妻と協同で作業を行い、 チャールズ&レイ・イームズ 夫妻の設計を実際に形にしていく重要な役割を果たした。初期の チャールズ&レイ・イームズ の家具には ハリー・ベルトイア の手も入っているのだが、表に名前が出ることなく、方向性の違いなどもあり、その後46年に別れることとなる。 1950年、 ノール ( Knoll ) 社の役員ハンス・ノルの計らいで、スタジオなど自由な活動環境を提供されるという幸運があり、そこで得意の金属ワイヤーを用いた「ダイヤモンドチェア」や「ベルトイア・サイドチェア」を発表。彫刻のようにどの方向から見ても美しく、機能だけでなく、形態と空間の研究が反映されたデザイン。これらの作品は絶大な支持を集めることとなったが、 ハリー・ベルトイア は残りの人生を彫刻に捧げ、再び椅子のデザインをすることはなかった。まさに偉大なるデザイナーによる幻の作品と呼べる。

Alvar Aalto

ロンドン王立芸術大学デザイン修士 家庭用および公共スペース用家具のデザインを手がける。 1972年エクセテラはスチールフレームとファブリックに覆われたフォルムから世界的な評価を得る。 現在では異なった24色のエクセテラも生産されている。 インテリアの一部としての存在に限定されるのではなく、 家具そのものとしての機能性が際立つ、クリアで明瞭なデザインに定評を博した。

Egon Eiermannはドイツで最も著名な建築家のうちの1人に挙げられ、 1927年ベルリン工科大学建築学科を卒業、いくつかの建築事務所を経て独立。 彼のモダン建築は1958年のブリュッセル万国博のドイツパビリオンで 初めて国内外で名声を得ることになる。 その後、ワシントンのドイツ大使館、フランクフルトのイタリアOlivetti社の 管理センター など、マテリアルの特性を活かした論理的な構造と機能性と 精密さがディテールにまで傑出しているモダン建築の創作活動が続いた。 中でも傑作と言われているのは、現在のベルリンの顔にもなっている カイザー・ヴィルヘルム記念教会である。 1956年のコンペから実に 5年の歳月の中で何度もくり返された協議の末、空襲の傷跡を残した教会を 戦争体験世代の証として残し、葬儀文化にまで取り組んでいることだ。 葬儀屋の店舗設計、ロゴマーク、燭台そして 棺のデザインまで実に幅広い活動である。

Eero Saarinen

Isamu kenmochi

Isamu noguchi

世界最高峰のガーデンファニチャーとして不動の地位を占める 1945年以来、ブラウンジョルダン社は、高級家具他をデザインしてきました。 ロバート・ブラウンとバート・ジョーダンによって、パサデナ(カリフォルニア)に創設され、 フルタイム屋外使用を想定した家具を創り出した最初の会社でした。 革新的なニューデザインの作品は、"アウトドア・ファニチャー”を誕生させました。

Mario Berini

Art Roche

Laurel Lamp

Jelde lamp

清潔で大胆、そしてモダン。機能性とデザイン性、品質の高さで知られる『アラビア社』のテーブルウェア。 フィンランド、ヘルシンキ郊外の別荘地 “アラビア”で1873年に誕生しました。 以来、北欧工芸の伝統を継承しつつ、またそれに縛られることなく、 新鮮で活力ある作品を次々と発表しています。北欧最大の名窯として、フィンランドはもとより 世界のクラフトデザインのレベルアップに大きく貢献しています。 製品の大半はストーンウエアで、質の高い熟練工の手で製品化されます。 素朴でヒューマンな味わいは、日照時間が極端に短い自然環境の中で、生活を楽しく潤いあるものにしようと 努力する北欧の人々の暮らしの知恵から生まれたもの。 使い勝手に配慮した丈夫で実用的な器でありながら、美しいデザインが人々の目を楽しませてくれます。 シンプルなものから華やかなものまで、『アラビア社』の作品は実に多彩。 工芸界のトップアーティスト、カイ・フランク、ピルガー・カイピアイネン、ウラ・プロコペ、 ステファン・リンドフォースなど世界屈指の作家たちが 個々の感性を自由に表現しているためで、 このことは多くのお客様の多彩な要望に応えられる 理由でもあります。 私どものセレクトしてまいりました商品は基本的には現行品ではありません。 製造年代・コンディションもそれぞれ違いますが、どれも可愛く長く付き合っていくには最適なアイテムと考えています。 "やっぱりARABIA"って、ものばかりです。

ヒースセラミック社 創始者イーディス・ヒース 1944年、サンフランシスコのパレ ス・オブ・リージョン・オブ・オーナー.(Palace of Legion of Honor)博物館でイーディス・ヒース陶芸展開催後ヒースセラミック社を創立。展覧会の出品物はサンフランシスコの老舗陶芸専門店のバイヤー達に高く評価され出品物全品を購買されたことをきっかけに後3年間、ろくろで仕上げた食器類等を同社に供給。その間、ヒースは夫(ブライアン)と続後共同で小規模生産での全国流通の開拓とカリフォルニア白土(粘土)と釉薬(うわぐすり)の研究。それらの両立を可能にしました。この革新は数年間継、50人の工芸家を要するヒースセラミック社のカリフォルニア店出店に至る。現在、食器類、レストラン用品、建築用タイル(AIA金賞受賞、1971年)のラインナップを揃え、全てが特注仕様です。

1954年創立のダンスク社はデンマーク風という意味より「DANSK」となずけられたそうです。 スカンジナビアモダンアートをコンセプトに、北欧を中心にした各国のデザイナー達に デザインされた製品を作り出しているデザイン会社です。 現代的で機能性に優れたダンスクの製品は流行や年代を超えた新しい温もりを持ち ダンスクは、キッチンからテーブルまでのトータルライフスタイルブランドとして好評を博しており、 デンマーク王室に始まりルーブル美術館、モダンアート美術館などのコレクションにも加わっております。 現在も新商品も作り続けられ多くの方々に愛されていますが、当店ではあえて現在作られていない ダンスクの商品50年代から70年代のアイテムをメインに探してきております。 50年から30年近くたつ古い物ですので、商品の状態はそれぞれ違い傷、使用感もある物もあります。 それでも、ダンスクにはその年代の独特な雰囲気があります。 ■Designer Jens H Quistgaard(イェンス・クィストゴー) 50-60'sの北欧モダンデザインを牽引してきたデンマーク出身のデザイナー。 クィストゴーがデザインした商品にはDANSK(ダンスク)のロゴの部分にJHQ・IHQと記されています。

ケメックスコーヒーメーカーを考案したピーター・シュラムボームという人物は、ドイツ キールの富裕な家庭に生まれベルリンで物理化学の博士号を取得した化学者で、伝え聞くところによれば、彼や面倒臭がり屋の研究者仲間たちは、前々から実験室に転がっているフラスコをコーヒーメーカーの代用として日常的に使用していたというのです。 それを市販用のコーヒーメーカーとしてデザインし直して、売り出そうと考えたのは、生涯で 300 以上もの特許を取得したといわれるシュラムボーム本人だったのです。 使い勝手のうえでも大いに貢献してくれる球状のウッドに通された革紐は、デザイン的アクセントとしても重要な役割を果たしています。よく見るとガラス表面に小さな突起がある。これは、コーヒーの適正量を示す、いわば目安の役割を担っています。 アメリカのミッドセンチュリーを代表するデザイナー チャールズ・イームズの自邸においてもケメックスでコーヒーを入れていたということだそうです。

Iitala finland

Old Pyrex(オールドパイレックス)とはFire King(ファイヤーキング)とならんで人気の高いアメリカンアンティーク・コレクティブルズのブランドです。アメリカのCorning(コーニング)社の製品で、耐熱食器を始め冷蔵庫用の保存容器等カラフルなものがたくさんあります。現在でもPyrex(パイレックス)ブランドは製造販売されていますが、ここで言うOld Pyrex(オールドパイレックス)とは1960年代までに製造販売されたものを言います。

ヒギンス芸術家の夫婦 現代アメリカのガラス工芸を代表する作家、妻フランシスと夫マイケルのヒギンス夫妻。二人の作家というより一組の作家と呼ぶ方が正しい。境界線はイームス夫妻よりもさらにぼやけて、それぞれ若くして一人前のガラス工芸家として活動を認められながら、結婚してからは単に「higgins(ヒギンス)」という銘でしか作品を見せていない。1908年、生まれのマイケルは、実はロンドン生まれのイギリス人だが、イートン校からケンブリッジに進み、その後に芸術大学を卒業して、30歳でアメリカに渡っている。ガラス作家として次第に評価を集めながら芸術大学をマスターコースまで修めたフランシスと結ばれたのが1948年。以来40年の長きに渡ってただヒギンスという銘で作品を発表し続けた。

Blenko glass

Kaj Frank

Tapio Wirkkala

Raymor

Hertha Bengtsson(ヘルサ・ベングトソン)は1917年スウェーデン生まれ。 1941年からRorstrand(ロールストランド)社で活躍した女性作家です。 同時期にはGunnar Nylund, Carl-Harry Stalhane, Marianne Westmanが在籍していました。 彼女の代表作はBla Eld(ブルーファイヤ)と名づけられたシリーズ。 青い炎ですが、店主の解釈は名前とは少し違い、広い大海原をイメージさせてくれる作品です。 ひき込まれていくように見とれてしまう美しい深いブルーのデコレーション。 日本でも取り扱うショップの少ないアイテムです。 そこにあるだけで絵になる作品はなかなか巡りあうことがありません。 また、短い間でしたがHoganas(ホガナス)でも活躍していました。

Bennington Potters はベニントン・ポッターは、1948年に陶芸家David Gil デヴィッド・ギルによって設立されました。 アルフレッド大学で陶芸を学んだ後、ニューヨークからバーモント州へ移り住み、 陶芸活動を開始。これらの作品は日常で使用される事を意識して作られており、 一つ一つ手作りされていて形はさることながら釉薬による模様、色の濃さ、厚みにいたるまでが様々です。 当時の陶芸家のデザインや製作は手作りによる身近な陶芸品を生産する為に 日々の暮らしに用いられる事を意識しており、芸術家の視点と職人の手による意匠と機能を 持ち合わせたものとなっており、ニューヨーク近代美術館MoMAをはじめ数々の受賞歴もあります。 1960年代頃の作品は陶芸家によるかわいらしいデザインや、モダンなテイストの物など、 独創性があり自由な作品が多数あります。 現在もアメリカ・ヴァ−モント州に拠点を置き,マグカップはベストセラー商品で、 現在も生産され続けています。当時の物とは色や艶などが異なりますが、 手法や製造工程などは現在も受け継がれています。 どこか、味わい深く、日本人にも馴染みの深いところがあるのも、 會田 雄亮 Yusuke Aida (1961〜64年)がチーフデザイナーを勤めていたからでしょうか? とても温もりのある良いデザインです。

Denby

1932-1998 スウェーデン Erik Hoglundは1932年生まれ。スウェーデンを代表する彫刻家、グラスアーティストとして活躍する。 1953年にBoda社にデザイナーとして入社。 人間や動物をモチーフにしたりガラスの歪みや気泡をデザインとして取り入れ 素朴な人間味溢れる個性的な作品を数多く残す。 Bodaでのそれらの作品が評価され1957年にHermann Bongardと共にLUNNING PRIZEを獲得。 73年にBodaを退社後もworkshopを設け活動を続ける。 当時のTapio WirrkalaやTimo Sarpanevaなどの精密な洗練されたデザインとは対照的に 時代の流れに反抗するかのごとく手の温もりが感じられるような独自のデザインを残す。 1998年没

Helena Tyrell

Wilhelm Wagenfeldは1900年ドイツ生まれ。1914〜1919年美術工芸学校で学ぶ。 その後、ハーナウの絵画アカデミーに3年間通い、 バウハウスで基礎課程を受講し金属細工の訓練を修了した。 バウハウスではMT8テーブルランプをデザインする。 金属工房で助手として働き1928年にその工房を引き継ぐ。 数多くの工業製品や家庭用品をデザインする。 1931年にはベルリンのグルーネヴィルトシュトラーセ国立芸術大学で 1947年からは造形芸術大学で教鞭を執った。 1954年ヴァーゲンフェルト工房設立。 で大量生産できる家庭用製品や工業デザインを得意とした。

WMF

Walter Bosse

Aldo Londy

ハワード・ミラー社は、ハーマン・ミラー(Herman Miller)の息子であるハワード・ミラーが設立した時計メーカー。伝統的な時計づくりから始まり、現在でもグランドファーザークロック(床置きの2m位ある大時計)などを手がけています。初期はハーマン・ミラー・クロック・カンパニーと呼ばれていたそうです。 こうしたつながりもあってか、第二次世界大戦後ハーマン・ミラー社のデザイン・ディレクターになったネルソンが、突飛なデザインの壁時計をハワード・ミラー社に提供します。 この振り子時計文字盤に多少のすれがありますが、商品としては綺麗です。文字盤の部分にゼンマイをまく穴があります。緩やかに時間を刻みながら見ているだけでも落ち着きます。シンプルでありモダンでもありますのでお部屋を選ばず独特の雰囲気を出してくれます。

JBL

Bang&Olufsen

Braun

Olivetti

Mcintosh